私が大学生だった頃、臨床心理の指定大学院が次々に新設され始め、まさに「臨床心理学ブーム」の幕開けでした。そんな中で、私は自分のアイデンティティの確立という課題で模索中だった時に、関心をもち始めたのが、臨床心理学に関連した書籍でした。とりわけ「アダルトチルドレン」や「児童虐待」というキーワードで一般向けに書かれた書籍を読みはじめたのがきっかけでした。私は自分探しのために、臨床心理の世界に魅かれていったのです。そして、同時に「もしかしたら心理学で人の役に立てるかもしれない」なんて思い、「自分もよりよく生きられて、人も助けることができる仕事はすごい!」と、そして「そんな臨床心理の仕事をしている人たちはすごい人なんだ!」とかなりの理想を描いていました。かなりの理想(妄想)一杯になりながら、大きな夢を抱いて受験したのを思い出します。今、振り返ってみて、あの当時の自分のパワーにびっくりです。大学生の頃は、心理学専攻ではなく、完全なる他学部でした。けれど、臨床心理に関心をもって、受験4カ月前に思い立ち、大学院の臨床心理のほぼ全員の先生の所へ訪問して「臨床心理士になりたいです。どうやったら大学院に入れますか?」なんて聞きまわっていました。もちろん、当時も「変に思われるんじゃないか?」とは思ったものの、それ以上に、臨床心理の大学院に入りたかった思いが強くて、聞きまわっていました。そこでは、先生の反応も様々でした。でも、基本的に、どの先生も馬鹿にはせずに、親身になって説明して下さいました。中でも、ある先生は「直前の院入試は、難しいかもしれないけれど、受けないよりは試しに受けてみたらどうか、ひょっとしたら受かるかもしれないし」と言われた言葉に勇気をもらい、それから必死に勉強して合格しました。おそらく、あの時期に「受かるかもしれない」と言ってほしくて、いろんな先生の所を訪問し回っていたのだと思います。
あの先生が言われた「ひょっとしたら受かる」という言葉のように、その時(タイミング)に、その言葉(わかってほしいこと)を汲んで、今の私は、学生さん達にちゃんと伝えられているだろうか?と自問自答しています。
細見先生